源氏と平家の戦い,第1張

源氏と平家の戦い,第2張

源氏(げんじ)と平家(へいけ)は、武士(ぶし)のリーダーの地位(ちい)をめぐってはげしく爭(あらそ)っていました。赤(あか)い旗(はた)は平家(へいけ)のしるし。一方(いっぽう)の源氏(げんじ)は、白(しろ)い旗(はた)じるし。

  源氏(げんじ)を率(ひき)いるのは、源頼朝(みなもとのよりとも)。そして平家(へいけ)との戦(たたか)いの先頭(せんとう)に立(た)ったのは、頼朝(よりとも)の弟(おとうと)の源(みなもと)義経(よしつね)でした。

  義経(よしつね)はまず、神戸(こうべ)の西(にし)にある一(いち)ノ穀(たに)で平家(へいけ)軍(ぐん)をやぶります。けわしいがけを馬(うま)で一気(いっき)にかけ降(ふ)り、油斷(ゆだん)していた平家(へいけ)軍(ぐん)に奇襲(きしゅう)をしかけたのです。

  続(つづ)いて義経(よしつね)は。四國(しこく)の屋島(やしま)に集(あつ)まっていた平家(へいけ)軍(ぐん)を襲(おそ)います。この時(とき)も義経(よしつね)は、嵐(あらし)の海(うみ)をたった5せきの船(ふね)で渡(わた)って奇襲(きしゅう)をしかけました。平家(へいけ)軍(ぐん)は瀬戸內海(せとないかい)を西(にし)へと逃(に)げます。

  そして最後の決戦(けっせん)の舞台(ぶたい)となったのが、壇(だん)ノ浦(うら)です。最後(さいご)の觝抗(ていこう)を試(こころ)みる平家(へいけ)軍(ぐん)。しかし、義経(よしつね)ひきいる840せきの大(だい)船団(せんだん)に加(くわ)え、海峽(かいきょう)の両(りょう)岸(きし)に構(かま)えた源氏(げんじ)軍(ぐん)の弓(ゆみ)部隊(ぶたい)から矢(や)をいかけられ、平家(へいけ)は追(お)いつめられていきます。はん栄(えい)をきわめた平家(へいけ)は、源氏(げんじ)軍(ぐん)の総(そう)攻撃(こうげき)によってついにほろびたのです。

位律師廻複

生活常識_百科知識_各類知識大全»源氏と平家の戦い

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