日語閲讀:臥薪嘗膽
「臥薪嘗膽」
<がしんしょうたん>
復讐(ふくしゅう)のために辛いことにも耐え忍ぶこと。
將來の成功することを信じて、長い間苦しみに耐えること。
呉の國と越の國は、何十年にもわたって抗爭をつづけていました。
そんな中、越の國は勾踐(こうせん)が新しい王になりました。
チャンスだと思った呉王の闔閭(こうりょ)は、一気に越に攻め込んだのですが勾踐の奇襲作戦によって呉は破れて、闔閭は戦いで負傷してしまいました。
その傷がもとで闔閭は命を失うことになり彼は死ぬ前に息子の夫差(ふさ)に「この恨みを一生忘れるな」と言い殘しました。
夫差は、いつかきっと復讐(ふくしゅう)してやる、と強く誓い父が殺された恨みを忘れないために積み重ねた薪(たきぎ)の上に寢て、毎日その痛みに耐えていました。
さらに、その部屋に人々が出入りするたびに、「夫差よ!おまえは父が越の國にやられたのを忘れたのか!」
と聲をかけさせるようにしました。
數年後、今度は勾踐が呉の國に攻め入りましたが辛い思いに耐えてきた夫差は、見事に越を打ち破りました。
負けた勾踐が命乞いをしてきました。
部下の伍子胥(ごししょ)は「絶対許してはならない」と忠告しましたがもう越にはほとんど力が殘っていないと感じた夫差は勾踐を助けることにしました。
助かった勾踐は、屈辱的な敗戦を忘れませんでした。
寢起きするたびに獣の膽(きも)を嘗(な)めて、その苦い味をかみしめました。
食事のときも必ず膽を口にして「おまえはあの恥を忘れたのか!」と自分に言い聞かせていました。
それから20數年の年月が流れました。
夫差は弱くなった越の國のことなど全く気にせず北方に勢力を拡大していきました。
越の國力が廻復していることに気づいていた伍子胥は日頃から夫差に忠告していましたが、あまりにしつこくて怒りをかってしまい自決を命じられてしまいました。
伍子胥は
「私の墓のそばに梓(あずさ)の木を植えてくれ。
それで夫差の棺(ひつぎ)が作れるようにしておこう。
それと、私の目玉をえぐり出して門に掲げてくれ。
越の軍が呉の國を滅ぼすのを見屆けたい。」
と言い殘して自らの命を絶ちました。
夫差は怒り狂い、伍子胥の遺躰を長江に投げ捨てました。
力を蓄えた勾踐は呉の國に攻め入り、都を取り囲みました。
夫差は和睦を申し入れて命乞いをしましたが、勾踐は、絶対許すべきではないという部下の忠告を聞き入れて許さないことにしました。
夫差は、
「私のために、國を思って必死で忠告してくれていた伍子胥にあわせる顔がない?」
と思い、顔を佈で覆って自らの命を絶ちました。
こうして、呉の國は滅びたのです。
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