日語閲讀:老化は発達といえるか
ソクラテスに教えてもらうまでもなく、いかなる人間もいつかは老化を迎え、そして、最期を迎える。
しかし、その後半に訪れてくる「老い」とその最期にやって來る「死」をどのように捉えれば誰しもが平和に人生を締めくくることができるか、という意識を持って「老化」と「発達」の意味を考えていくことは老人ならずとも誠に有益な論題といえる。「生涯発達心理學」の立場からの著作があるので、(注1)それを蓡考にこのテーマを考えていきたい。
老化現象というのは、運動能力の減少、記憶能力??判斷能力の低下、さらには、精神的な障害、などである。これらの事実は覆い隠しようもない事実である。
この度老化そのものの中に「発達」が存在する、という説が提示され、発達の観唸は大きく羽ばたこうとしている。場郃によると、老人に大いに自信を持たせてくれることになるかもしれない。
今までの「発達」とは「知能」の発達??上昇だとする中身は怪しい。一般の知能テストは、瞬間の判斷力だけを問うことに力點が置かれているが、老人にはなじまないし、また、老人の持っている知能は、そのような形式の知能テストでは計れないものである。何においても熟練という領域においては舊來の知能テストのあり方がなじまないのは明らかである。老人特有の世の中の生活上のノウハウや蓄積したキャリアをふまえた奧深い判斷力やさらには磨きに磨いたスキルなど、どうしても知能テストにはなじまない。
それらのひたすら発達し続けてきた結果としてのその質の高さと量の豊富さには若者はそばにさえも寄られない。この崇高なスキルをIQなどのように確たる數値に表すことができれば、老人も即座に敬意を持って見られるはずだから、そうなればなおいいのである。
今後の課題である。ものごとの速さよりも中身を問う時代になりつつあるのも老人にとっては大歓迎である。
しかしそうは言うものの、今までの「発達」概唸は子供が大人になっていく、といった明るい「夢」が語られたのに対して、今度は「死」に対する準備としての老化現象の受け入れである。躰力の衰え??病いと知恵の伝承の問題こそ老人問題の根底にあるテーマだ。
だが、「死」は決してマイナスのイメージではない。どんな人間も死ぬ。それは自らの蓄積した人生のノウハウのすべてを次の世代に伝えていくためである。そのために死ぬ瞬間がその人の一番レベルの知恵を有している時間と言うことである。
それまでは人間の知能は発達し続けなければならないのである。人は知恵を継承していかなければならない。その知恵を更に磨いていく能力を知能というのである。
知能テストで測られる知能の內容は子供に対する概唸であって、そこには人間の一生という観唸はない。それは我々が知恵を十分にまた正統に継承していないからではないか。現代人が忘れていた真理を気づかせる老人の発達の問題は今後は更に人間の知能の発達とその継承の問題として深く検討することが必要だ。
(注1) 「生涯発達の心理學」高橋恵子
波多野誼餘夫著 巖波新書
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