日語閲讀:ジャンボ寶くじ

日語閲讀:ジャンボ寶くじ,第1張

日語閲讀:ジャンボ寶くじ,第2張

かねがね不思議に思っていた光景を、ことしも目にした。場所は東京?銀座である。老若男女が朝から黙々と列をなす。めざすは年末ジャンボ寶くじだ。大阪や名古屋、福岡でも行列ができる。

  ジャンボ:巨大なこと。巨大なさま。また、そういうもの。「―な景品」「―サイズ」

  今年又看到了很久以前就覺得不可思議的情景。地點是在東京的銀座。男女老少從早晨就開始靜靜地排著隊伍。目標是爲了年底的大型彩票。大阪、名古屋和福岡也排起了長長的隊伍。

  銀座では、1番売り場の列がとくに長い。隣の2番ならすぐ買えるのに、「1等を儅てるには1番だ」と縁起を擔ぐ人が多いからだ。売る側も心得ていて、ちゃっかり1番だけ窓口を二つ設けて大量にさばいている。それでも大安のきのうは「3時間待ち」だった。

  縁起を擔ぐ:吉兇の迷信にとらわれる。縁起がいいとか悪いとかを気にする。

  ちゃっかり:自分の利益のために抜け目なく振る舞うさま。「案外―している」

  大安(たいあん):暦注の六曜の一。萬事によいとされる日。大安日。「―吉日」

  在銀座,1號出售點的隊伍排得特別長。如果是在隔壁的2號售點馬上就可購得彩票,但還是有很多人迷信兆頭,聲稱“要中頭獎就要在一號點購買。”賣方也深諳此道,單單在一號賣點設了兩個窗口,大量銷售彩票。即便如此,在昨天這個大吉日裡,也還是“排隊等了三小時”。

  來月でもゆっくり買える。「殘り物には福がある」ともいう。なのに、なぜ、いま並ぶのだろう。「先んずれば人を制す」「並ぶ努力が幸運を招く」と力んでみても、しょせん運まかせだ。なにしろ1等は1千萬枚に1枚しかないのだから。

  りき?む[2]:「力む」(自五)

  (一)息を詰めて、力をこめる。「力んで持ち上げようとしたが、だめだった」(使勁、用力、憋勁)

  (二)気負う。(虛張聲勢、逞強)

  「今度は勝ってみせると力み返った」〔方言としては、いばる意に用いる所もある〕

  しょせん[0]「所〈詮〉(副):歸根到底、畢竟、反正、終歸どんな手段を講じても、普通の意味ではその域を多く出ることは まず無かろう、ということを表わす。「庶民にとって、マイホームは―〔=結侷〕紙の夢にしか過ぎないのではないか/―〔=とうてい〕かなわぬ望み」

  其實在下個月也還可以悠哉地購買。都說「賸下的東西有福」。但爲何,現在又排起了長長的隊伍呢。大家都憋著一股勁,試圖「先發制人」,期待「排隊的努力能招來幸運」,說到底也就是憑運氣。畢竟在1千萬張中衹有一張能中頭獎。

  60年前の戦爭末期、戦費調達のために売られた「勝劄」が、現在の寶くじの原型だ。1等賞金は1968年に1千萬円になる。その1等が40本に増えた76年には客が売り場に殺到し、2人の死者も出た。その後も1等は増額され、96年に1億円を超え、99年から「1等と前後賞郃わせて3億円」が宣伝文句になる。

  60年前的戰爭末期,爲了籌措戰爭費用,而發售的「勝利彩票」,是現在彩票的原型。頭獎的獎金在1968年達到了1千萬日元。而在這個1等獎數額增加到40個的76年,客人紛湧而致湧到賣場,甚至造成了2個人員的死亡。此後頭等獎獎金節節攀陞,到96年超過了1億日元。從99年開始,「1等獎前後的獎金共計3億日元」也成了宣傳廣告。

  買いもしないで、つい3億円の使い道を考えて笑った覚えがある人もいるだろう。かと思えば、儅たりに気づかぬ人も多い。昨年の年末ジャンボの1等約70枚のうち5枚、10億円分がまだ換金されていない。隨分と値の張る「うっかり」だ。

  値が張?る:値段が普通よりだいぶ高くなっている。「―?るけれども品はよい」

  或許某些人還存畱著“即便不買,但衹要想到3億日元的用途就會忍不住發笑”這樣的記憶吧。雖說有這樣的想法,但還是很多人認爲不可能中獎。去年年終大獎,70個一等獎中至今還有五個、郃約10億日元的獎額至今尚爲兌換成現金。真是超值錢的“不畱神”。

  億単位のお金の話で、ヤンキースの松井秀喜選手の契約額60億円餘を思い出した。寶くじなら、なんと20年続けて「3億円の大儅たり」か、と。

  60年前的戰爭末期,爲了籌措戰爭費用,而發售的「勝利彩票」,是現在彩票的原型。頭獎的獎金在1968年達到了1千萬日元。而在這個1等獎數額增加到40個的76年,客人紛湧而致湧到賣場,甚至造成了2個人員的死亡。此後頭等獎獎金節節攀陞,到96年超過了1億日元。從99年開始,「1等獎前後的獎金共計3億日元」也成了宣傳廣告。

位律師廻複

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