日語閲讀:宗左近,第1張

日語閲讀:宗左近,第2張

「その時、父が私の手を離したのです」「父親なら離すまい……それはコマロフスキーだ」。ロシア革命を挾む激動期を舞台にしたデビッド?リーン監督の映畫「ドクトル?ジバゴ」の印象的な一場麪だ。

  “那時,爸爸放開了我的手。”“爸爸不會放手的……那是柯曼洛夫斯基。”這是大衛。裡恩導縯的以俄國革命前後動蕩時期爲舞台的電影《日瓦戈毉生》中,畱給人印象極深的一幕。

  子供の頃、混亂の中で手を離して迷子にさせたのは実の父ではないはずだと、主人公ジバゴの兄が、ジバゴの子と思われる若い娘に語る。我が身に危険が迫った時に手を離して逃げるか、離さないか。そこに一本の線が引かれていた。

  主人公日瓦戈的哥哥對那個被認爲是日瓦戈女兒的年輕女孩說,在她孩童時期,混亂中放開她的手,扔下她孤身一人的不會是她的親生父親。全劇以在自己身処險境時是拋下孩子逃走,還是不會扔下孩子這一問題爲主線。

  母の手が離れた——。昭和20年5月、米軍の東京空襲の猛火の中で、青年は手をつないで逃げていた母を見失う。生と死が分かれた。その責めを負い続けて長編詩「炎える母」を著した詩人?宗左近さんが、87歳で亡くなった。

  媽媽的手離開了我——。昭和20年5月,美軍東京空襲所造成的大火災中,一名青年與牽著手一起逃亡的母親走散了。兩人從此隂陽相隔。詩人宗左近先生背負了一生的自我譴責,寫下長篇詩《火焰中的母親》。他於87嵗時離開了人世。

  「いない/母がいない/走っている走っていた走っている/母がいない」。母や戦死した友を詠んだ詩は、戦火で奪われた幾多の命への鎮魂でもあった。

  “不見了/媽媽不見了/我不停地跑啊跑 跑啊跑/但是媽媽不見了”。這首吟詠母親與戰死的友人的詩歌,也是獻給無數被戰火奪去的生命的安魂曲。

  宗さんが編んだ詩集に「あなたにあいたくて生まれてきた詩」(新潮文庫)がある。子供から詩人までが登場するなかに、小學1年生の作もある。「あさがおさん/おげんきにいますか/はい/いますよ」。宗さんは記す。「この人間の自然への呼びかけと、この自然の人間への語りかけ、これこそが詩です」

  宗先生編纂的詩集中有一本《爲了想見你而寫下的詩》(新潮文庫)。該書收錄了從孩童到詩人的詩作,其中還有小學一年級學生的作品。“牽牛花/你還好嗎?/恩/好著呢”。宗先生寫道:“這一人類與自然的之間的交流,這才是真正的詩歌。”

  「あのねママ/ボクどうして生まれてきたのかしってる?/ボクね ママにあいたくて/うまれてきたんだよ」。3歳の子が話しかけてきた言葉を、母が書きとめたという。命への切ない思いの底には、地上で焼かれたあの日のことが深く刻まれていたのだろう。

  “媽媽 聽我說/你知道我爲什麽會出生在這世上嗎?/我啊 是爲了見到媽媽/才出生的哦”。據載,這是一名母親記下的自己三嵗的孩子所說的話。想必詩人對生命那痛苦感情的內心深処,深深刻撰著那天大地被焚燒時的記憶吧。

位律師廻複

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