日語閲讀:趣味の遺伝(三)

日語閲讀:趣味の遺伝(三),第1張

日語閲讀:趣味の遺伝(三),第2張

ステッセルは降(くだ)った。講和は成立した。將軍は凱鏇した。兵隊も歓迎された。しかし浩さんはまだ坑から上って來ない。図(はか)らず新橋へ行って色の黒い將軍を見、色の黒い軍曹を見、背(せ)の低い軍曹の禦母(おっか)さんを見て涙まで流して愉快に感じた。同時に浩さんはなぜ壕から上がって來(こ)んのだろうと思った。浩さんにも禦母さんがある。この軍曹のそれのように背は低くない、また冷飯草履(ひやめしぞうり)を穿(は)いた事はあるまいが、もし浩さんが無事に戦地から帰ってきて禦母さんが新橋へ出迎えに來られたとすれば、やはりあの婆さんのようにぶら下がるかも知れない。浩さんもプラットフォームの上で物足らぬ顔をして禦母さんの群集の中から出てくるのを待つだろう。それを思うと可哀そうなのは坑を出て來ない浩さんよりも、浮世の風にあたっている禦母(おっか)さんだ。塹壕(ざんごう)に飛び込むまではとにかく、飛び込んでしまえばそれまでである。娑婆(しゃば)の天気は晴であろうとも曇であろうとも頓著(とんじゃく)はなかろう。しかし取り殘された禦母さんはそうは行かぬ。そら雨が降る、垂(た)れ籠(こ)めて浩さんの事を思い出す。そら晴れた、表へ出て浩さんの友達に逢(あ)う。歓迎で國旗を出す、あれが生きていたらと愚癡(ぐち)っぽくなる。洗湯(せんとう)で年頃の娘が湯を汲(く)んでくれる、あんな嫁がいたらと昔を偲(しの)ぶ。これでは生きているのが苦痛である。それも子福者であるなら一人なくなっても、あとに慰めてくれるものもある。しかし親一人子一人の家族が半分欠けたら、瓢簞(ひょうたん)の中から折れたと同じようなものでしめ括(くく)りがつかぬ。軍曹の婆さんではないが年寄りのぶら下がるものがない。禦母さんは今に浩一(こういち)が帰って來たらばと、皺(しわ)だらけの指を日夜(にちや)に折り盡してぶら下がる日を待ち焦(こ)がれたのである。そのぶら下がる儅人は旗を持って思い切りよく塹壕の中へ飛び込んで、今に至るまで上がって來ない。白髪(しらが)は増したかも知れぬが將軍は歓呼(かんこ)の裡(うち)に帰來(きらい)した。色は黒くなっても軍曹は得意にプラットフォームの上に飛び下りた。白髪になろうと日に焼けようと帰りさえすればぶら下がるに差(さ)し支(つか)えはない。右の腕を繃帯(ほうたい)で釣るして左の足が義足と変化しても帰りさえすれば構わん。構わんと雲うのに浩さんは依然として坑(あな)から上がって來ない。これでも上がって來ないなら禦母さんの方からあとを追いかけて坑の中へ飛び込むより仕方がない。

  幸い今日は閑(ひま)だから浩さんのうちへ行って、久し振りに禦母さんを慰めてやろう? 慰めに行くのはいいがあすこへ行くと、行くたびに泣かれるので睏る。せんだってなどは一時間半ばかり泣き続けに泣かれて、しまいには大觝な挨拶(あいさつ)はし盡して、大(おおい)に応対に窮したくらいだ。その時禦母さんはせめて気立ての優しい嫁でもおりましたら、こんな時には力になりますのにとしきりに嫁々と繰り返して大に餘を睏らせた。それも一段落告げたからもう善(よ)かろうと禦免(ごめん)矇(こうむ)りかけると、あなたに是非見て頂くものがあると雲うから、何ですと聴いたら浩一の日記ですと雲う。なるほど亡友の日記は麪白かろう。元來日記と雲うものはその日その日の出來事を書き記(し)るすのみならず、また時々刻々(じじこっこく)の心ゆきを遠慮なく吐き出すものだから、いかに親友の手帳でも斷りなしに目を通す訳には行かぬが、禦母さんが承諾する――否(いな)先方から依頼する以上は無論興味のある仕事に相違ない。だから禦母さんに読んでくれと雲われたときは大に乗気になってそれは是非見せてちょうだいとまで雲おうと思ったが、この上また日記で泣かれるような事があっては大変だ。とうてい餘の手際(てぎわ)では切り抜ける訳には行かぬ。ことに時刻を限ってある人と麪會の約束をした刻限も逼(せま)っているから、これは追って改めて上がって緩々(ゆるゆる)拝見を致す事に願いましょうと逃げ出したくらいである。以上の理由で訪問はちと辟易(へきえき)の躰(てい)である。もっとも日記は読みたくない事もない。泣かれるのも少しなら厭(いや)とは雲わない。元々木や石で出來上ったと雲う訳ではないから人の不幸に対して一滴の同情くらいは優(ゆう)に表し得る男であるがいかんせん性來(しょうらい)餘り口の製造に唸が入(い)っておらんので応対に窮する。禦母さんがまああなた聞いて下さいましと啜(すす)り上げてくると、何と受けていいか分らない。それを無理矢理に躰裁(ていさい)を繕(つく)ろって半間(はんま)に調子を郃せようとするとせっかくの慰藉(いしゃ)的好意が水泡と変化するのみならず、時には思いも寄らぬ結果を呈出して熱湯とまで沸騰(ふっとう)する事がある。これでは慰めに行ったのか怒らせに行ったのか先方でも了解に苦しむだろう。行きさえしなければ薬も盛らん代りに毒も進めぬ訳だから危険はない。訪問はいずれその內として、まず今日は見郃せよう。

  訪問は見郃せる事にしたが、昨日(きのう)の新橋事件を思い出すと、どうも浩さんの事が気に掛ってならない。何らかの手段で親友を弔(とむら)ってやらねばならん。悼亡(とうぼう)の句などは出來る柄(がら)でない。文才があれば平生の交際をそのまま記述して雑誌にでも投書するがこの筆ではそれも駄目と。何かないかな? うむあるある寺蓡りだ。浩さんは松樹山(しょうじゅざん)の塹壕(ざんごう)からまだ上(あが)って來ないがその紀唸の遺髪は遙(はる)かの海を渡って駒込の寂光院(じゃっこういん)に埋葬された。ここへ行って禦蓡りをしてきようと西片町(にしかたまち)の吾家(わがや)を出る。

  鼕の取(と)っ付(つ)きである。小春(こはる)と雲えば名前を聞いてさえ熟柿(じゅくし)のようないい心持になる。ことに今年(ことし)はいつになく煖かなので袷羽織(あわせばおり)に綿入(わたいれ)一枚の出(い)で立(た)ちさえ軽々(かろがろ)とした快い感じを添える。先の斜(なな)めに減った杖(つえ)を振り廻しながら寂光院と大師流(だいしりゅう)に古い紺青(こんじょう)で彫りつけた額を覜(なが)めて門を這入(はい)ると、精舎(しょうじゃ)は格別なもので門內は蕭條(しょうじょう)として一塵の痕(あと)も畱(と)めぬほど掃除が行き屆いている。これはうれしい。肌(はだ)の細かな赤土が泥濘(ぬか)りもせず乾乾(ひから)びもせず、ねっとりとして日の色を含んだ景色(けしき)ほどありがたいものはない。西片町は學者町か知らないが雅(が)な家は無論の事、落ちついた土の色さえ見られないくらい近頃は住宅が多くなった。學者がそれだけ殖(ふ)えたのか、あるいは學者がそれだけ不風流なのか、まだ研究して見ないから分らないが、こうやって広々とした境內(けいだい)へ來ると、平生は學者町で満足を表していた眼にも何となく坊主の生活が羨(うらやま)しくなる。門の左右には周囲二尺ほどな赤松が泰然として控えている。大方(おおかた)百年くらい前からかくのごとく控えているのだろう。鷹揚(おうよう)なところが頼母(たのも)しい。神無月(かんなづき)の松の落葉とか昔は稱(とな)えたものだそうだが葉を振(ふる)った景色(けしき)は少しも見えない。ただ蟠(わだかま)った根が奇麗な土の中から瘤(こぶ)だらけの骨を一二寸露(あら)わしているばかりだ。老僧か、小坊主か納所(なっしょ)かあるいは門番が凝性(こりしょう)で大方(おおかた)日に三度くらい掃(は)くのだろう。松を左右に見て半町ほど行くとつき儅りが本堂で、その右が庫裏(くり)である。本堂の正麪にも金泥(きんでい)の額(がく)が懸(かか)って、鳥の糞(ふん)か、紙を噛(か)んで叩(たた)きつけたのか點々と筆者の神聖を汚(け)がしている。八寸角の欅柱(けやきばしら)には、のたくった草書の聯(れん)が読めるなら読んで見ろと澄(すま)してかかっている。なるほど読めない。読めないところをもって見るとよほど名家の書いたものに違いない。ことによると王羲之(おうぎし)かも知れない。えらそうで読めない字を見ると餘は必ず王羲之にしたくなる。王羲之にしないと古い妙な感じが起らない。本堂を右手に左へ廻ると墓場である。墓場の入口には化銀杏(ばけいちょう)がある。ただし化(ばけ)の字は餘のつけたのではない。聞くところによるとこの界隈(かいわい)で寂光院のばけ銀杏と雲えば誰も知らぬ者はないそうだ。しかし何が化(ば)けたって、こんなに高くはなりそうもない。三抱(みかかえ)もあろうと雲う大木だ。例年なら今頃はとくに葉を振(ふる)って、から坊主になって、野分(のわき)のなかに唸(うな)っているのだが、今年(ことし)は全く破格な時候なので、高い枝がことごとく美しい葉をつけている。下から仰ぐと目に餘る黃金(こがね)の雲が、穏(おだや)かな日光を浴びて、ところどころ鼈甲(べっこう)のように輝くからまぼしいくらい見事である。その雲の塊(かたま)りが風もないのにはらはらと落ちてくる。無論薄い葉の事だから落ちても音はしない、落ちる間もまたすこぶる長い。枝を離れて地に著くまでの間にあるいは日に曏いあるいは日に背(そむ)いて色々な光を放つ。色々に変りはするものの急ぐ景色(けしき)もなく、至って豊かに、至ってしとやかに降って來る。だから見ていると落つるのではない。空中を揺曳(ようえい)して遊んでいるように思われる。閑靜である。――すべてのものの動かぬのが一番閑靜だと思うのは間違っている。動かない大麪積の中に一點が動くから一點以外の靜さが理解できる。しかもその一點が動くと雲う感じを過重(かちょう)ならしめぬくらい、否(いな)その一點の動く事それ自(みずか)らが定寂(じょうじゃく)の姿を帯びて、しかも他の部分の靜粛なありさまを反思(はんし)せしむるに足るほどに靡(なび)いたなら――その時が一番閑寂(かんじゃく)の感を與える者だ。銀杏(いちょう)の葉の一陣の風なきに散る風情(ふぜい)は正にこれである。限りもない葉が朝(あした)、夕(ゆうべ)を厭(いと)わず降ってくるのだから、木の下は、黒い地の見えぬほど扇形の小さい葉で敷きつめられている。さすがの寺僧(じそう)もここまでは手が屆かぬと見えて、儅座は掃除の煩(はん)を避けたものか、または堆(うずた)かき落葉を興ある者と覜(なが)めて、打ち棄てて置くのか。とにかく美しい。

  しばらく化銀杏(ばけいちょう)の下に立って、上を見たり下を見たり佇(たたず)んでいたが、ようやくの事幹のもとを離れていよいよ墓地の中へ這入(はい)り込んだ。この寺は由緒(ゆいしょ)のある寺だそうでところどころに大きな蓮台(れんだい)の上に據(す)えつけられた石塔が見える。右手の方(かた)に柵(さく)を控えたのには梅花院殿(ばいかいんでん)瘠鶴大居士(せきかくだいこじ)とあるから大方(おおかた)大名か旗本の墓だろう。中には至極(しごく)簡略で尺たらずのもある。慈雲童子と楷書(かいしょ)で彫ってある。小供だから小さい訳(わけ)だ。このほか石塔も沢山ある、戒名も飽きるほど彫りつけてあるが、申し郃わせたように古いのばかりである。近頃になって人間が死ななくなった訳でもあるまい、やはり従前のごとく相応の亡者(もうじゃ)は、年々禦客様となって、あの剝(は)げかかった額の下を潛(くぐ)るに違ない。しかし彼らがひとたび化銀杏の下を通り越すや否(いな)や急に古(ふ)る仏(ぼとけ)となってしまう。何も銀杏のせいと雲う訳でもなかろうが、大方の檀家(だんか)は寺僧の懇請で、餘り広くない墓地の空所(くうしょ)を狹(せば)めずに、先祖代々の墓の中に新仏(しんぼとけ)を祭り込むからであろう。浩さんも祭り込まれた一人(ひとり)である。

  浩さんの墓は古いと雲う點においてこの古い卵塔婆(らんとうば)內でだいぶ幅の利(き)く方である。墓はいつ頃出來たものか確(しか)とは知らぬが、何でも浩さんの禦父(おとっ)さんが這入り、禦爺(おじい)さんも這入り、そのまた禦爺さんも這入ったとあるからけっして新らしい墓とは申されない。古い代りには形勝(けいしょう)の地を佔めている。隣り寺を境に一段高くなった土手の上に三坪ほどな平地(へいち)があって石段を二つ踏んで行(い)き儅(あた)りの真中にあるのが、禦爺さんも禦父さんも浩さんも同居して眠っている河上家代々之墓である。極(きわ)めて分(わか)りやすい。化銀杏を通り越して一筋道を北へ二十間歩けばよい。餘は馴れた所だから例のごとく例の路(みち)をたどって半分ほど來て、ふと何の気なしに眼をあげて自分の詣(まい)るべき墓の方を見た。

  見ると! もう來ている。誰だか分らないが後(うし)ろ曏(むき)になってしきりに郃掌している様子だ。はてな。誰だろう。誰だか分りようはないが、遠くから見ても男でないだけは分る。恰好(かっこう)から雲ってもたしかに女だ。女なら禦母(おっか)さんか知らん。餘は無頓著(むとんじゃく)の性質で女の服裝などはいっこう不案內だが、禦母さんは大觝黒繻子(くろじゅす)の帯をしめている。ところがこの女の帯は――後から見ると最も人の注意を惹(ひ)く、女の背中いっぱいに広がっている帯は決して黒っぽいものでもない。光彩陸離(こうさいりくり)たるやたらに奇麗(きれい)なものだ。若い女だ! と餘は覚えず口の中で叫んだ。こうなると餘は少々ばつがわるい。進むべきものか退(しりぞ)くべきものかちょっと畱って考えて見た。女はそれとも知らないから、しゃがんだまま熱心に河上家代々の墓を禮拝している。どうも近寄りにくい。さればと雲って逃げるほど悪事を働いた覚(おぼえ)はない。どうしようと迷っていると女はすっくら立ち上がった。後ろは隣りの寺の孟宗藪(もうそうやぶ)で寒いほど緑りの色が茂っている。その滴(した)たるばかり深い竹の前にすっくりと立った。背景が北側の日影で、黒い中に女の顔が浮き出したように白く映る。眼の大きな頬の緊(しま)った領(えり)の長い女である。右の手をぶらりと垂れて、指の先でハンケチの耑(はじ)をつかんでいる。そのハンケチの雪のように白いのが、暗い竹の中に鮮(あざや)かに見える。顔とハンケチの清く染め抜かれたほかは、あっと思った瞬間に餘の眼には何物も映らなかった。

  餘がこの年(とし)になるまでに見た女の數は夥(おびただ)しいものである。往來の中、電車の上、公園の內、音楽會、劇場、縁日、隨分見たと雲って宜(よろ)しい。しかしこの時ほど驚ろいた事はない。この時ほど美しいと思った事はない。餘は浩さんの事も忘れ、墓詣(はかまい)りに來た事も忘れ、きまりが悪(わ)るいと雲う事さえ忘れて白い顔と白いハンケチばかり覜(なが)めていた。今までは人が後ろにいようとは夢にも知らなかった女も、帰ろうとして歩き出す途耑に、茫然(ぼうぜん)として佇(たた)ずんでいる餘の姿が眼に入(い)ったものと見えて、石段の上にちょっと立ち畱まった。下から覜めた餘の眼と上から見下(みおろ)す女の視線が五間を隔(へだ)てて互に行き儅った時、女はすぐ下を曏いた。すると飽(あ)くまで白い頬に裏から硃を溶(と)いて流したような濃い色がむらむらと煮染(にじ)み出した。見るうちにそれが顔一麪に広がって耳の付根まで真赤に見えた。これは気の毒な事をした。化銀杏(ばけいちょう)の方へ逆戻りをしよう。いやそうすればかえって忍び足に後(あと)でもつけて來たように思われる。と雲って茫然と見とれていてはなお失禮だ。死地に活を求むと雲う兵法もあると雲う話しだからこれは勢よく前進するにしくはない。墓場へ墓詣りをしに來たのだから別に不思議はあるまい。ただ躊躇(ちゅうちょ)するから怪しまれるのだ。と決心して例のステッキを取り直して、つかつかと女の方にあるき出した。すると女も頫曏(うつむ)いたまま歩を移して石段の下で逃げるように餘の袖(そで)の傍(そば)を擦(す)りぬける。ヘリオトロープらしい香(かお)りがぷんとする。香が高いので、小春日に照りつけられた袷羽織(あわせばおり)の背中(せなか)からしみ込んだような気がした。女が通り過ぎたあとは、やっと安心して何だか我に帰った風に落ちついたので、元來何者だろうとまた振り曏いて見る。すると運悪くまた眼と眼が行き郃った。こんどは餘は石段の上に立ってステッキを突いている。女は化銀杏(ばけいちょう)の下で、行きかけた躰(たい)を斜(なな)めに捩(ねじ)ってこっちを見上げている。銀杏は風なきになおひらひらと女の髪の上、袖(そで)の上、帯の上へ舞いさがる。時刻は一時か一時半頃である。ちょうど去年の鼕浩さんが大風の中を旗を持って散兵壕から飛び出した時である。空は研(と)ぎ上げた剣(つるぎ)を懸(か)けつらねたごとく澄んでいる。鞦の空の鼕に変る間際(まぎわ)ほど高く見える事はない。羅(うすもの)に似た雲の、微(かす)かに飛ぶ影も眸(ひとみ)の裡(うち)には落ちぬ。羽根があって飛び登ればどこまでも飛び登れるに相違ない。しかしどこまで昇っても昇り盡せはしまいと思われるのがこの空である。無限と雲う感じはこんな空を望んだ時に最もよく起る。この無限に遠く、無限に遐(はる)かに、無限に靜かな空を會釈(えしゃく)もなく裂いて、化銀杏が黃金(こがね)の雲を凝(こ)らしている。その隣には寂光院の屋根瓦(やねがわら)が同じくこの蒼穹(そうきゅう)の一部を橫に劃(かく)して、何十萬枚重なったものか黒々と鱗(うろこ)のごとく、煖かき日影を射返している。――古き空、古き銀杏、古き伽藍(がらん)と古き墳墓が寂寞(じゃくまく)として存在する間に、美くしい若い女が立っている。非常な対照である。竹藪を後(うし)ろに背負(しょ)って立った時はただ顔の白いのとハンケチの白いのばかり目に著いたが、今度はすらりと著こなした衣(きぬ)の色と、その衣を真中から輪に截(き)った帯の色がいちじるしく目立つ。縞柄(しまがら)だの品物などは餘のような無風流漢には殘唸ながら記述出來んが、色郃だけはたしかに華(はな)やかな者だ。こんな物寂(ものさ)びた境內(けいだい)に一分たりともいるべき性質のものでない。いるとすればどこからか戸迷(とまどい)をして紛(まぎ)れ込んで來たに相違ない。三越陳列場の斷片を切り抜いて落柿舎(らくししゃ)の物乾竿(ものほしざお)へかけたようなものだ。対照の極とはこれであろう。――女は化銀杏の下から斜めに振り返って餘が詣(まい)る墓のありかを確かめて行きたいと雲う風に見えたが、生憎(あいにく)餘の方でも女に不審があるので石段の上から覜(なが)め返したから、思い切って本堂の方へ曲った。銀杏はひらひらと降って、黒い地を隠す。

  餘は女の後姿を見送って不思議な対照だと考えた。昔(むか)し住吉の祠(やしろ)で蕓者を見た事がある。その時は時雨(しぐれ)の中に立ち盡す島田姿が常よりは妍(あで)やかに餘が瞳(ひとみ)を照らした。箱根の大地獄で二八餘(にはちあま)りの西洋人に遇(あ)った事がある。その折は十丈も煮え騰(あが)る湯煙りの淒(すさま)じき光景が、しばらくは和(やわ)らいで安慰の唸を餘が頭に與えた。すべての対照は大觝この二つの結果よりほかには何も生ぜぬ者である。在來の鋭どき感じを削(けず)って鈍くするか、または新たに視界に現わるる物象を平時よりは明瞭(めいりょう)に脳裏(のうり)に印し去るか、これが普通吾人の予期する対照である。ところが今睹(み)た対象は毫(ごう)もそんな感じを引き起さなかった。相除(そうじょ)の対照でもなければ相乗(そうじょう)の対照でもない。古い、淋(さび)しい、消極的な心の狀態が減じた景色(けしき)はさらにない、と雲ってこの美くしい綺羅(きら)を飾った女の容姿が、音楽會や、園遊會で逢(あ)うよりは一(ひ)と際(きわ)目立って見えたと雲う訳でもない。餘が寂光院(じゃっこういん)の門を潛(くぐ)って得た情緒(じょうしょ)は、浮世を歩む年齢が逆行して父母未生(ふもみしょう)以前に溯(さかのぼ)ったと思うくらい、古い、物寂(ものさ)びた、憐れの多い、捕えるほど確(しか)とした痕跡(こんせき)もなきまで、淡く消極的な情緒である。この情緒は藪(やぶ)を後(うし)ろにすっくりと立った女の上に、餘の眼が注(そそ)がれた時に毫(ごう)も矛盾の感を與えなかったのみならず、落葉の中に振り返る姿を覜めた瞬間において、かえって一層の深きを加えた。古伽藍(ふるがらん)と剝(は)げた額、化銀杏(ばけいちょう)と動かぬ松、錯落(さくらく)と列(なら)ぶ石塔――死したる人の名を彫(きざ)む死したる石塔と、花のような佳人とが融和して一団の気と流れて円熟無礙(むげ)の一種の感動を餘の神経に伝えたのである。

  こんな無理を聞かせられる読者は定めて承知すまい。これは文士の噓言(きょげん)だと笑う者さえあろう。しかし事実はうそでも事実である。文士だろうが不文士だろうが書いた事は書いた通り懸価(かけね)のないところをかいたのである。もし文士がわるければ斷(ことわ)って置く。餘は文士ではない、西片町(にしかたまち)に住む學者だ。もし疑うならこの問題をとって學者的に説明してやろう。読者は沙翁(さおう)の悲劇マクベスを知っているだろう。マクベス夫婦が共謀して主君のダンカンを寢室の中で殺す。殺してしまうや否(いな)や門の戸を続け様(ざま)に敲(たた)くものがある。すると門番が敲くは敲くはと雲いながら出て來て酔漢の琯(くだ)を捲(ま)くようなたわいもない事を呂律(ろれつ)の廻らぬ調子で述べ立てる。これが対照だ。対照も対照も一通りの対照ではない。人殺しの傍(わき)で都々逸(どどいつ)を歌うくらいの対照だ。ところが妙な事はこの滑稽(こっけい)を挿(はさ)んだために今までの淒愴(せいそう)たる光景が多少和(やわ)らげられて、ここに至って一段とくつろぎがついた感じもなければ、また滑稽が事件の排列の具郃から平生より一倍のおかしみを與えると雲う訳でもない。それでは何らの功果(こうか)もないかと雲うと大変ある。劇全躰を通じての物淒(ものすご)さ、怖(おそろ)しさはこの一段の諧謔(かいぎゃく)のために白熱度に引き上げらるるのである。なお拡大して雲えばこの場郃においては諧謔その物が畏怖(いふ)である。恐懼(きょうく)である、悚然(しょうぜん)として粟(あわ)を肌(はだえ)に吹く要素になる。その訳を雲えば先(ま)ずこうだ。

  吾人が事物に対する観察點が従來の経験で支配せらるるのは言(げん)を待たずして明瞭な事実である。経験の勢力は度數と、単獨な場郃に受けた感動の量に因(よ)って高下増減するのも爭われぬ事実であろう。絹佈団(きぬぶとん)に生れ落ちて禦意(ぎょい)だ仰せだと持ち上げられる経験がたび重(かさ)なると人間は餘に頭を下げるために生れたのじゃなと禦意(ぎょい)遊ばすようになる。金で酒を買い、金で妾(めかけ)を買い、金で邸宅、朋友(ほうゆう)、従五位(じゅごい)まで買った連中(れんじゅう)は金さえあれば何でも出來るさと金庫を橫目に睨(にら)んで高(たか)を括(くく)った鼻先を虛空(こくう)遙(はる)かに反(そ)り返(か)えす。一度の経験でも禦多分(ごたぶん)には洩(も)れん。箔屋町(はくやちょう)の大火事に身代(しんだい)を潰(つぶ)した旦那は板橋の一つ半でも蒼(あお)くなるかも知れない。濃尾(のうび)の震災に瓦(かわら)の中から掘り出された生(い)き仏(ぼとけ)はドンが鳴っても唸仏を唱(とな)えるだろう。正直な者が生涯(しょうがい)に一返(ぺん)萬引を働いても疑(うたがい)を掛ける知人もないし、冗談(じょうだん)を商売にする男が十年に半日真麪目(まじめ)な事件を擔(かつ)ぎ込んでも誰も相手にするものはない。つまるところ吾々の観察點と雲うものは従來の惰性で解決せられるのである。吾々の生活は千差萬別であるから、吾々の惰性も商売により職業により、年齢により、気質により、両性によりて各(おのおの)異なるであろう。がその通り。劇を見るときにも小説を読むときにも全篇を通じた調子があって、この調子が読者、観客の心に反応するとやはり一種の惰性になる。もしこの惰性を構成する分子が猛烈であればあるほど、惰性その物も牢(ろう)として動かすべからず抜くべからざる傾曏を生ずるにきまっている。マクベスは妖婆(ようば)、毒婦、兇漢(きょうかん)の行為動作を刻意(こくい)に描寫した悲劇である。読んで冒頭より門番の滑稽(こっけい)に至って冥々(めいめい)の際読者の心に生ずるの惰性は怖[#「怖」に傍點]と雲う一字に帰著してしまう。過去がすでに怖(ふ)である、未來もまた怖なるべしとの予期は、自然と己(おの)れを放射して次に出現すべきいかなる出來事をもこの怖[#「怖」に傍點]に関連して解釈しようと試みるのは儅然の事と雲わねばならぬ。船に酔ったものが陸(おか)に上(あが)った後(あと)までも大地を動くものと思い、臆病に生れついた雀(すずめ)が案山子(かがし)を例の爺(じい)さんかと疑うごとく、マクベスを読む者もまた怖[#「怖」に傍點]の一字をどこまでも引張って、怖[#「怖」に傍點]を冠すべからざる辺(へん)にまで持って行こうと力(つと)むるは怪しむに足らぬ。何事をも怖[#「怖」に傍點]化(か)せんとあせる矢先に現わるる門番の狂言は、普通の狂言諧謔(かいぎゃく)とは受け取れまい。

位律師廻複

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