あふれる(中日對照)
月並みだがやはり五月は緑.心に浮かぶのは芽ぶいたばがりの新鮮な若葉、それに目にまぶしくあふれてくる緑だろう。美しくはれあがった日はまさにそのとおりで、あながちこのイメージも誤りとはいえないが、統計でみるという月、意外に雨の日が多いのだ。逆にいえば、その數少ない初夏のひの美しさ、輝かしさ強烈な印象をひとに與えている——ということになるだろうか。
緑という言葉は、そに鳥—カワセミの羽の色から転じてきたものというのが、色名としては比較的新しいもので、古くは「あお」である。今でもわたちたちが、緑の葉をさして青葉といっているように、昔は青、青緑、緑にかけての色を「あお」という言葉で呼んでいだ。といっても、それは色彩に対する感覚が悪かったというだけのことだ。
緑は心理學からは安息を與える色だろうだが、そくそくと芽ぶく山の緑を見ていると、その生気のすさまじさに攻めたてられる思いがする。「自然界において人間は消費者でしかない。微生物は還元者、植生のみが生産者だ。」という文章をたまたま新聞のコラムで読み、何かわかったような気がした。自然の生命力と曏かい郃うためには、こちらもあふれるたくましさがなければならないのだろう。
單詞注釋
1、あふれる:表示充滿、洋溢等意。
2、はれあがる:晴空萬裡,完全晴朗
3、芽ぶく:發芽、冒芽
4、あながち……ない:表示“不一定、未必”等意
5、そに鳥:這時翠鳥的別稱。
カワセミ:翠鳥
6、古く:表示“很久以前”之意
7、安息:表示“穩定情緒、安安靜靜的休息”等意
8、そくそくと:表示“忙忙碌碌、催促”等意
9、コラム:評論欄
譯文
生機勃勃
雖說是屢見不鮮,但五月的綠色還是令人興奮。腦海中浮現出的是剛吐出的鮮嫩綠芽,那也就是將會變得越發美麗茂盛的綠葉。上述印象未必能說是一種錯覺,因爲在這晴空萬裡的日子裡的確如此。據統計,五月份雨天格外地多,相反,也許能這麽說,初夏少有的,美麗而燦爛的陽光會給人帶來強烈的感受
據說綠色這一詞滙是從“翠鳥”的羽色轉義而來的,但作爲色彩名是較新穎的一種說法,在古代則稱作“青色”。就如現在我們指著“綠葉”叫它“青葉”一樣,過去凡是與“藍、深綠、綠”有關的顔色都用“青”這一詞滙。話7是這麽說,倒也不是對色彩的感覺不敏感,衹是覺得沒有必要把色彩分得那麽細。
據說綠色在心理上是屬於“穩定情緒”的色彩。望著漫山遍野茁壯成長的綠芽,一種洋溢著春天生機勃勃的氣息撲麪而來。“在自然界中人類衹是消費者,微生物是還原者,而衹有植物群躰才是生産者。”偶爾我們也能在報紙的評論欄中讀到這類的文章,我似乎明白了一些什麽。我們要與自然界中的生命相擁抱,自身也需要具有強健的躰魄。
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