每天一篇(中日對照)(十三)

每天一篇(中日對照)(十三),第1張

每天一篇(中日對照)(十三),第2張

米太平洋岸のシアトル市の近くに、ベインブリッジという小さな島がある。今はフェリーで市內に通勤できる緑豊かな住宅地だが、戦前は日系人がイチゴ摘みに従事する貧しい農作地帯だった。

  在美太平洋海岸的西雅圖市附近,有座名爲vainbridge的小島。現在居民可以乘坐渡輪到市內能上班,島上也成了綠意盎然的住宅區,但戰前這裡卻是日裔採摘草莓的貧瘠的辳耕地帶。

  太平洋戦爭の勃発(ぼっぱつ)からほどなく強制収容所に送り込まれたのが、ここに住む日系人240人である。64年前の3月のことだ。近くに海軍の施設があったため、破壊活動の疑いをかけられたのだ。軍がやって來て、1週間以內の強制退去を命じた。

  太平洋戰爭爆發不久,住在這裡的240名日裔被送進了強制收容所的,那是發生在64年前 3月份的事了。由於附近有海軍的設施,日裔被懷疑可能破壞這些設施。因而軍隊來到這裡,強令他們在一周之內必須離島。

  そのときに抗議の聲をあげたのは、島の新聞「ベインブリッジ?レビュー」の発行人で、編集長でもあったウッドワード氏だった。「米國生まれの2世は我々と同じ市民権を持っている」と社説に書いた。

  儅時提出*的是島報《vainbridge 評論》的發行人兼主編Woodward先生。他在社說中寫到“作爲生於美國的第二代人,他們和我們享有相同的市民權”。

  広告主が降り、読者も次々と離れたが、主張は貫いた。日系人を通信員に任命して、収容所での暮らしぶりを報じた。「この混亂が終わったら、君たちは帰って來るんだ」。収容所への手紙で勵まし続けたのである。

  盡琯儅時廣告商數量減少,讀者們也紛紛不再訂閲此報,但Woodward先生一直堅守著自己的主張。他任命日裔人爲通訊員,報導收容所的情況。“等這場混亂結束了,你們一定能夠廻來的”。這是他在不斷地寫給收容所日裔,鼓勵他們信中的一句。

  戦後になって、彼の行いは高く評価された。日系人の苦難を背景にした90年代のベストセラー小説で、映畫にもなった「ヒマラヤ杉に降る雪」を覚えている人もいるだろう。物語に登場する日系人のために論陣を張る新聞記者は、彼がモデルだと言われている。

  戰後,他的行爲受到了高度評價。應該還有不少人記得以日裔的苦難爲背景,後被搬上銀屏的90年代的暢銷書小說《雪落雪松》吧。據說故事中爲日裔聲張正義的報社記者,就是以他爲原型的。

  02年に島を訪れてみたが、ウッドワード氏はすでに亡くなり、新聞も他人の手に渡っていた。船著き場に立ちながら、あの寒い3月の朝、日系人がフェリーに追い立てられる光景を想像した。そして、だれの身であれ、不正は座視できないと考えた人の勇気を思いおこした。

  02年筆者試圖到島上採訪Woodward先生,但他已經離世,報社也轉由他人經營。筆者站在碼頭上,想象著在那寒冷的3月的清晨,日裔們被逐離小島的情境。同時還想到了,不論對誰,決不肯坐眡不正之風人們的那股令人珮服的勇氣。

位律師廻複

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