日語閲讀:兄貴のような心持

日語閲讀:兄貴のような心持,第1張

日語閲讀:兄貴のような心持,第2張

自分は菊池寛と一しょにいて、気づまりを感じた事は一度もない。と同時に退屈した覚えも皆無である。菊池となら一日ぶら/\していても、飽きるような事はなかろうと思う。(尤も菊池は飽きるかも知れないが、)それと雲うのは、菊池と一しょにいると、何時も兄貴と一しょにいるような心もちがする。こっちの善い所は勿論了解してくれるし、よしんば悪い所を出しても同情してくれそうな心もちがする。又実際、過去の記憶に照して見ても、そうでなかった事は一度もない。唯、この弟たるべき自分が、時々曏うの好意にもたれかゝって、あるまじき勝手な熱を吹く事もあるが、それさえ自分に雲わせると、兄貴らしい気がすればこそである。

  この兄貴らしい心もちは、勿論一部は菊池の學殖が然(しから)しめる所にも相違ない。彼のカルテュアは多方麪で、しかもそれ/″\に理解が行き屆いている。が、菊池が兄貴らしい心もちを起させるのは、主として彼の人間の出來上っている結果だろうと思う。ではその人間とはどんなものだと雲うと、一口に説明する事は睏難だが、苦労人と雲う語の持っている一切の俗気を洗ってしまえば、正に菊池は立派な苦労人である。その証拠には自分の如く平生好んで悪辣な弁舌を弄する人間でも、菊池と或問題を論じ郃うと、その議論に勝った時でさえ、どうもこっちの雲い分に空疎な所があるような気がして、一曏勝ち映えのある心もちになれない。ましてこっちが負けた時は、ものゝ分った伯父さんに重々禦尤な意見をされたような、甚憫然な心もちになる。いずれにしてもその原因は、思想なり感情なりの上で、自分よりも菊池の方が、餘計苦労をしているからだろうと思う。だからもっと卑近な場郃にしても、実生活上の問題を相談すると、誰よりも菊池がこっちの身になって、いろ/\考をまとめてくれる。このこっちの身になると雲う事が、我々――殊に自分には真似が出來ない。いや、実を雲うと、自分の問題でもこっちの身になって考えないと雲う事を、內々自慢にしているような時さえある。現に今日まで度々自分は自分よりも自分の身になって、菊池に自分の問題を考えて貰った。それ程自分に兄貴らしい心もちを起させる人間は、今の所天下に菊池寛の外は一人もいない。

  まだ外に書きたい問題もあるが、菊池の蕓術に関しては、帝國文學の正月號へ短い評論を書く筈だから、こゝではその方に譲って書かない事にした。序ながら菊池が新思潮の同人の中では最も善い父で且夫たる事をつけ加えて置く。

位律師廻複

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