鼻(芥川龍之介日語小說)

鼻(芥川龍之介日語小說),第1張

鼻(芥川龍之介日語小說),第2張

內供ははじめ、これを自分の顔がわりがしたせいだと解釈した。しかしどうもこの解釈だけでは十分に説明がつかないようである。――勿論、中童子や下法師が哂(わら)う原因は、そこにあるのにちがいない。けれども同じ哂うにしても、鼻の長かった昔とは、哂うのにどことなく容子(ようす)がちがう。見慣れた長い鼻より、見慣れない短い鼻の方が滑稽(こっけい)に見えると雲えば、それまでである。が、そこにはまだ何かあるらしい。

  ――前にはあのようにつけつけとは哂わなんだて。

  內供は、誦(ず)しかけた経文をやめて、禿(は)げ頭を傾けながら、時々こう呟(つぶや)く事があった。愛すべき內供は、そう雲う時になると、必ずぼんやり、傍(かたわら)にかけた普賢(ふげん)の畫像を覜めながら、鼻の長かった四五日前の事を憶(おも)い出して、「今はむげにいやしくなりさがれる人の、さかえたる昔をしのぶがごとく」ふさぎこんでしまうのである。――內供には、遺憾(いかん)ながらこの問に答を與える明が欠けていた。

  ――人間の心には互に矛盾(むじゅん)した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出來ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。少し誇張して雲えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥(おとしい)れて見たいような気にさえなる。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くような事になる。――內供が、理由を知らないながらも、何となく不快に思ったのは、池の尾の僧俗の態度に、この傍観者の利己主義をそれとなく感づいたからにほかならない。

  そこで內供は日毎に機嫌(きげん)が悪くなった。二言目には、誰でも意地悪く叱(しか)りつける。しまいには鼻の療治(りょうじ)をしたあの弟子の僧でさえ、「內供は法慳貪(ほうけんどん)の罪を受けられるぞ」と陰口をきくほどになった。殊に內供を怒らせたのは、例の悪戯(いたずら)な中童子である。ある日、けたたましく犬の吠(ほ)える聲がするので、內供が何気なく外へ出て見ると、中童子は、二尺ばかりの木の片(きれ)をふりまわして、毛の長い、痩(や)せた尨犬(むくいぬ)を逐(お)いまわしている。それもただ、逐いまわしているのではない。「鼻を打たれまい。それ、鼻を打たれまい」と囃(はや)しながら、逐いまわしているのである。內供は、中童子の手からその木の片をひったくって、したたかその顔を打った。木の片は以前の鼻持上(はなもた)げの木だったのである。

  內供はなまじいに、鼻の短くなったのが、かえって恨(うら)めしくなった。

  するとある夜の事である。日が暮れてから急に風が出たと見えて、塔の風鐸(ふうたく)の鳴る音が、うるさいほど枕に通(かよ)って來た。その上、寒さもめっきり加わったので、老年の內供は寢つこうとしても寢つかれない。そこで牀の中でまじまじしていると、ふと鼻がいつになく、むず癢(かゆ)いのに気がついた。手をあてて見ると少し水気(すいき)が來たようにむくんでいる。どうやらそこだけ、熱さえもあるらしい。

  ――無理に短うしたで、病が起ったのかも知れぬ。

  內供は、仏前に香花(こうげ)を供(そな)えるような恭(うやうや)しい手つきで、鼻を抑えながら、こう呟いた。

  翌朝、內供がいつものように早く眼をさまして見ると、寺內の銀杏(いちょう)や橡(とち)が一晩の中に葉を落したので、庭は黃金(きん)を敷いたように明るい。塔の屋根には霜が下りているせいであろう。まだうすい朝日に、九輪(くりん)がまばゆく光っている。禪智內供は、蔀(しとみ)を上げた縁に立って、深く息をすいこんだ。

  ほとんど、忘れようとしていたある感覚が、再び內供に帰って來たのはこの時である。

  內供は慌てて鼻へ手をやった。手にさわるものは、昨夜(ゆうべ)の短い鼻ではない。上脣の上から顋(あご)の下まで、五六寸あまりもぶら下っている、昔の長い鼻である。內供は鼻が一夜の中に、また元の通り長くなったのを知った。そうしてそれと同時に、鼻が短くなった時と同じような、はればれした心もちが、どこからともなく帰って來るのを感じた。

  ――こうなれば、もう誰も哂(わら)うものはないにちがいない。

  內供は心の中でこう自分に囁(ささや)いた。長い鼻をあけ方の鞦風にぶらつかせながら

位律師廻複

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