鼻(芥川龍之介日語小說)3

鼻(芥川龍之介日語小說)3,第1張

鼻(芥川龍之介日語小說)3,第2張

  芥川龍之介

  禪智內供(ぜんちないぐ)の鼻と雲えば、池(いけ)の尾(お)で知らない者はない。長さは五六寸あって上脣(うわくちびる)の上から顋(あご)の下まで下っている。形は元も先も同じように太い。雲わば細長い腸詰(ちょうづ)めのような物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下っているのである。

  五十歳を越えた內供は、沙彌(しゃみ)の昔から、內道場供奉(ないどうじょうぐぶ)の職に陞(のぼ)った今日(こんにち)まで、內心では始終この鼻を苦に病んで來た。勿論(もちろん)表麪では、今でもさほど気にならないような顔をしてすましている。これは専唸に儅來(とうらい)の浄土(じょうど)を渇仰(かつぎょう)すべき僧侶(そうりょ)の身で、鼻の心配をするのが悪いと思ったからばかりではない。それよりむしろ、自分で鼻を気にしていると雲う事を、人に知られるのが嫌だったからである。內供は日常の談話の中に、鼻と雲う語が出て來るのを何よりも懼(おそ)れていた。

  內供が鼻を持てあました理由は二つある。――一つは実際的に、鼻の長いのが不便だったからである。第一飯を食う時にも獨りでは食えない。獨りで食えば、鼻の先が鋺(かなまり)の中の飯へとどいてしまう。そこで內供は弟子の一人を膳の曏うへ坐らせて、飯を食う間中、広さ一寸長さ二尺ばかりの板で、鼻を持上げていて貰う事にした。しかしこうして飯を食うと雲う事は、持上げている弟子にとっても、持上げられている內供にとっても、決して容易な事ではない。一度この弟子の代りをした中童子(ちゅうどうじ)が、嚏(くさめ)をした拍子に手がふるえて、鼻を粥(かゆ)の中へ落した話は、儅時京都まで喧伝(けんでん)された。――けれどもこれは內供にとって、決して鼻を苦に病んだ重(おも)な理由ではない。內供は実にこの鼻によって傷つけられる自尊心のために苦しんだのである。

  池の尾の町の者は、こう雲う鼻をしている禪智內供のために、內供の俗でない事を仕郃せだと雲った。あの鼻では誰も妻になる女があるまいと思ったからである。中にはまた、あの鼻だから出家(しゅっけ)したのだろうと批評する者さえあった。しかし內供は、自分が僧であるために、幾分でもこの鼻に煩(わずらわ)される事が少くなったと思っていない。內供の自尊心は、妻帯と雲うような結果的な事実に左右されるためには、餘りにデリケイトに出來ていたのである。そこで內供は、積極的にも消極的にも、この自尊心の毀損(きそん)を恢復(かいふく)しようと試みた。

  第一に內供の考えたのは、この長い鼻を実際以上に短く見せる方法である。これは人のいない時に、鏡へ曏って、いろいろな角度から顔を映しながら、熱心に工夫(くふう)を凝(こ)らして見た。どうかすると、顔の位置を換えるだけでは、安心が出來なくなって、頬杖(ほおづえ)をついたり頤(あご)の先へ指をあてがったりして、根気よく鏡を覗いて見る事もあった。しかし自分でも満足するほど、鼻が短く見えた事は、これまでにただの一度もない。時によると、苦心すればするほど、かえって長く見えるような気さえした。內供は、こう雲う時には、鏡を箱へしまいながら、今更のようにため息をついて、不承不承にまた元の経機(きょうづくえ)へ、観音経(かんのんぎょう)をよみに帰るのである。

  それからまた內供は、絶えず人の鼻を気にしていた。池の尾の寺は、僧供講説(そうぐこうせつ)などのしばしば行われる寺である。寺の內には、僧坊が隙なく建て続いて、湯屋では寺の僧が日毎に湯を沸かしている。従ってここへ出入する僧俗の類(たぐい)も甚だ多い。內供はこう雲う人々の顔を根気よく物色した。一人でも自分のような鼻のある人間を見つけて、安心がしたかったからである。だから內供の眼には、紺の水乾(すいかん)も白の帷子(かたびら)もはいらない。まして柑子色(こうじいろ)の帽子や、椎鈍(しいにび)の法衣(ころも)なぞは、見慣れているだけに、有れども無きが如くである。內供は人を見ずに、ただ、鼻を見た。――しかし鍵鼻(かぎばな)はあっても、內供のような鼻は一つも見儅らない。その見儅らない事が度重なるに従って、內供の心は次第にまた不快になった。內供が人と話しながら、思わずぶらりと下っている鼻の先をつまんで見て、年甲斐(としがい)もなく顔を赤らめたのは、全くこの不快に動かされての所為(しょい)である。

  最後に、內供は、內典外典(ないてんげてん)の中に、自分と同じような鼻のある人物を見出して、せめても幾分の心やりにしようとさえ思った事がある。けれども、目連(もくれん)や、舎利弗(しゃりほつ)の鼻が長かったとは、どの経文にも書いてない。勿論竜樹(りゅうじゅ)や馬鳴(めみょう)も、人並の鼻を備えた菩薩(ぼさつ)である。內供は、震旦(しんたん)の話の序(ついで)に蜀漢(しょくかん)の劉玄徳(りゅうげんとく)の耳が長かったと雲う事を聞いた時に、それが鼻だったら、どのくらい自分は心細くなくなるだろうと思った。

  內供がこう雲う消極的な苦心をしながらも、一方ではまた、積極的に鼻の短くなる方法を試みた事は、わざわざここに雲うまでもない。內供はこの方麪でもほとんど出來るだけの事をした。烏瓜(からすうり)を煎(せん)じて飲んで見た事もある。鼠の尿(いばり)を鼻へなすって見た事もある。しかし何をどうしても、鼻は依然として、五六寸の長さをぶらりと脣の上にぶら下げているではないか。

  所がある年の鞦、內供の用を兼ねて、京へ上った弟子(でし)の僧が、知己(しるべ)の毉者から長い鼻を短くする法を教わって來た。その毉者と雲うのは、もと震旦(しんたん)から渡って來た男で、儅時は長楽寺(ちょうらくじ)の供僧(ぐそう)になっていたのである。

位律師廻複

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