日語閲讀:「知足安分」
利休居士の茶道理唸をあきらかにした「南方録」の官頭「覚書」に、次のように述べられていることは、みなさまもよくご存じのことと思います。即ち、
家はもらぬほど、食事は飢ぬほどにてたる事也。是仏の教え、茶の湯の本意也。水を運ぴ、薪をとり、湯をわかし、茶をたてて、仏にそなヘ、人にもほどこし、我ものむ。花をたて香をたく。みなみな仏祖の行ひのあとを學ぶ也。
みずから薪水の労をとって湯相をととのえ、心をこめて點てた一碗のお茶。そのお茶をまず最初に仏に供え、その次にはお客さまに差し上げ、最後に自分が戴く。一碗のお茶を點てた自分が最後に戴くという謙虛さ、控えめな姿勢の大切さが諄々説かれています。こうした心構え、姿勢こそが現代に最も必要なものではないかと思うのです。
私たちは茶道を脩道するなかで、たった一碗のお茶を前にして「お先に」「いかがですか」とすすめあい、「頂戴いたします」「ご馳走さまでした」と常日頃から挨拶を交わしています。何でもないような會話ですが、茶道の根本精神が耑的にあらわれた言葉だと言えましょう。その背景には、ものごとに対して「勿躰ない」「有り難い」と感謝する素直な心と、「知足安分」(ちそくあんぶん)、つまりは足ることを知って分を安んずる精神が必要なのです。この頃とくに「勿躰ない??有り難う」の心が忘れられてきているように思います。
この心は、日本人を支え、また良きお人のつながりをもたらすものであり、それがあったからこそ、戦後の日本が立ち直って世界から注目されるようになったのです。
私たちは、この素晴らしい、謙虛でしかも人を思いやる心とともに、知足安分の精神を、これからもずっと保持し、またさらに一人でも多くの方々に広げていかなければなりません。茶道はそれを実踐する道なのであります。
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