日語閲讀:村田珠光
村田珠光は茶の湯を道具茶からとき放って、町衆の間に広め精神性を求めました。
ここに、「道」としての茶の歴史が始まるのです。
珠光は、京都紫野の大徳寺??真珠菴で、一休禪師について蓡禪しました。
ここで「茶禪一味」の境地を見いだし、茶の儀式の形よりも、茶を行なう者の心に重きをおきました。
足利義政が「茶とは何か」と聞いた時、珠光は、「茶とは遊に非ず蕓に非ず、一味清浄、法喜禪悅の境地にあり」と答えたといわれています。
珠光は後に、一休禪師から印可の証として、宋の圓悟禪師の墨跡をもらい、茶掛に用いました。これを墨跡開山といって、それをきっかけに茶人の蓡禪が始まるのです。
珠光は、広い書院では心の落ちつきが得られないとして座敷を四畳半に區切り、それを屏風で囲いました。
茶室のことを「かこい」というのは、ここからきているのです。
珠光は後に草菴を結びましたが、理想としていた佗ぴ茶を完成せずに沒しました。
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