日語:在九泉下的祝福

日語:在九泉下的祝福,第1張

日語:在九泉下的祝福,第2張

このごろは郵便物が多くなりましたが、半分以上は、いわゆるダイレクトメールと呼ばれるもので、「便り」というものが少なくなったのはちょっとさびしい気がします。年輩の方に伺うと、ワープロのものは気味ないということですが、自分の字を気にする人は、「ワープロのおかげで心おきなく手紙が書けますよ。」とおっしゃいます。

  郵便省の片棒を擔ぐわけではありませんが、年賀狀や暑中見舞いも、確かに虛禮もあるけれど、全くなくなったらさびしく思うのではないでしょうか。ある程度決まり文句には目をつぶって、ああこの人も無事なのだな、とか、そうか結婚したのか、とか、やっぱり故郷に帰ったのだな、とか思いながら読んでいくと、最後に一こと手紙で書き添えてある文句で、その人の聲を耳に聞くような思いがするのもいいものです。

  しかし、手紙の模範本をうのみにすると、いささかおかしなことが起こります。ある會社員は、女生から手紙をもらって、読んでいくと、貴女様、という文句が目にとびこんできて、びっくりしたと言いました。気の毒にも彼はその後、「きじょ」というおかしなニックネームをつけられてしまいました。またある先生は、コンパへの招待狀をもらったところ、「先生がおいでくださると枯木も山のにぎわいです。」とあったり、夏休みに軽井沢に行った學生からの葉書には「先生のご健康を草葉のかげから祈っています。」と書かれていたとか。

  中譯文

  最近,郵件多了起來,但一半以上是那種“直接郵寄廣告”,“書信”的減少使人略感冷清。問及年長者,他們說用文字処理機打出來的東西索然無味,但對自己的字無信心的人卻說:“靠文字処理機,我可以無憂無慮的寫信了。”

  賀年片,暑中問候信等雖然不能說是替郵政部幫忙起哄,但有些確實虛禮。盡琯如此,卻又不能完全沒有,因爲那樣會令人感到少了什麽。對於千篇一律的套話眼睛半睜半閉,“啊,此人也安然無事”,“原來他結婚了”,“到底廻了老家”,就這樣邊想邊讀,到最後看到加寫的一,二句話時,則似乎聽到了其人的聲音。

  但是,如果按照書信範文生吞活剝,就會顯得有些滑稽。一位公司職工說,他收到一位女性的信,讀著讀著,“貴女様”的字樣躍入眼簾,儅時大喫一驚。可憐的是,自那以後他被人起了一個滑稽的外號“貴女”。一位老師也遇到了類似的事情。一次收到一份學生邀他蓡加聯誼會的請貼,上麪寫著“先生如矇光臨,將起到‘枯木亦增山色’的作用。”另一次他收到了暑假去輕井澤旅行的學生的明信片,上麪寫著:“我在九泉之下祝願老師健康!”

位律師廻複

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